
歌舞伎町の「歌舞伎」は、実現しなかった劇場計画の名残だった
歌舞伎町なのに、名前の由来になった歌舞伎劇場は建たなかった。街の看板を見慣れているほど、少し意外な話だ。町名は、もともと存在した名所の説明ではなく、この場所につくろうとした未来の姿から生まれている。飲食店や夜の遊び場を探すときにも目にする町名に、実現しなかった計画が残っていた。
新宿区の説明では、歌舞伎町は戦災復興の一環で歌舞伎座の誘致を目指したことから名づけられた。2024年3月21日付の大歌舞伎祭実行委員会の発表は、戦後の金融政策や建築制限などが劇場計画を阻んだと説明する。その後は新宿ミラノ座をはじめとする劇場や映画館が建ち、当初とは違う形で娯楽の街が育っていった。
そして2024年4月28日、この街で「新宿歌舞伎町大歌舞伎祭」が開かれた。4月30日更新の新宿区の写真日誌には、中村勘九郎、中村七之助ら中村座の出演者が、モア4番街から東急歌舞伎町タワーまで練り歩いたことが記録されている。劇場の中だけでなく、街の道そのものに歌舞伎の顔ぶれが現れた日だった。
実行委員会の事前発表では、このお練りは翌5月の「歌舞伎町大歌舞伎」を街ぐるみで盛り上げるための企画だった。公演会場として案内されたのは、東急歌舞伎町タワー6階のTHEATER MILANO-Za。町名の由来と新しい劇場が、一つの催しの中で結びついた。
建物ができなくても、名前は残る。その名前が、ずっと後の街で催しを開く理由にもなる。歌舞伎町の看板には、夜の行き先だけでなく、街が一度描いた夢も書かれている。